About the history of pachinko

パチンコの歴史

パチンコの歴史

 日本では昭和5年ごろ、最初のパチンコ店が出来たと言われ、太平洋戦争開戦時に全面禁止となりましたが、終戦後に復活して店舗数が増えていきます。

 昭和40年にはスロットマシンも登場し、昭和52年、現在のパチスロの原型が形作られていきます。

 昭和24年には、後にパチンコの神様といわれた正村竹一氏が考案した「正村ゲージ」が登場し、さらに昭和27年連発式の出現により、全国の店舗は4万店を超えました。

 このころから、パチンコ店で獲得した景品を買取ろうとする者が現れ始め、「暴力団の資金源になっている」との新聞報道等の指摘を受け、暴力団排除活動を始めます。

 ところが昭和29年、連発式が禁止され、転廃業者が続出。店舗数は1万店を大きく割込み、4分の1以下となってしまいます。

 その後、昭和32年ごろから役モノ(入賞口の工夫)が出始め、昭和35年にはチューリップが登場。昭和44年には連発式が復活し、再びパチンコが流行し、大衆娯楽の王様と呼ばれたのもこのころです。

 昭和47年ごろにはボウリングブームが下火となり、郊外型パチンコ店が出現し始めます。そして、昭和49年、再び全国店舗数1万店を回復し、以降、店舗数は概ね増え続け、平成7年にピークを迎える店舗数は1万7600店となります。

 遊技機に目を向けると、昭和55年にフィーバー機、翌56年には羽根モノ第1号のゼロ戦が登場。昭和54年のインベーダーゲームの影響で下火になっていた業界を盛り上げていきます。

 昭和60年に、それまでの風営法が取締法から適正化法として施行されると、遊技機に製造番号が付けられ、型式試験が開始されるなど、業界の近代化が顕著となります。

平 成2年には、パチンコ賞品の最高額が1万円とされたほか、遊技機出玉性能が整備され、ついに平成4年、CR機が登場。パチンコは現在に近い遊技環境が整っていきます。

 パチスロは、平成4年に4号機が登場すると、平成13年には設置台数130万台を突破し、パチスロ全盛期を迎えますが、一方で、行き過ぎた射幸性が社会問題化しかねない状況だったことから、平成16年遊技機規則が改正され、5号機時代が到来します。