島田療育センター「守る会」による活動(昭和50年~) | |
都遊協組合員有志をはじめ、関東のパチンコ業界有志で組織する「島田療育センターを守る会」は、昭和50年から毎年、募金活動の継続しており、累計寄付金総額は、2億円を超えています。 同センターは、日本で初めての重症心身障害児施設で、福祉に関する法律もない昭和36年に、都内のパチンコ、パチスロ店で組織する「東京都遊技業協同組合(都遊協)」の役員であった島田伊三郎氏(故人)が、1万坪に及ぶ広大な土地を寄付したことで、東京多摩丘陵に設立されました。 当時は、福祉というものに対する社会的な理解も薄く、地元住民から大反対を受けながらのスタートでした。設立後も経営的に多くの困難があり、さらには、過酷な労働を強いざるを得なかった看護婦(当時)等の職員不足などにより、一時、存続が危ぶまれました。 そんななか、昭和50年に、たまたま新聞の片隅に掲載された「滅びゆく福祉」と題した記事が、当時の都遊協役員であった飛田茂雄氏(故人)の目にとまり、「我々の大先輩が私財をなげうってまで、願ってやまなかった福祉の火を消してはならない」と、業界関係者に呼びかけ、約10名の有志が立ち上がって設立されたものが「島田療育センターを守る会」です。 以来、その意思は二世経営者に受け継がれ、毎年、続けられている募金活動のほか、地域住民との親睦を深めたり、職員の慰労を目的に、同センターの夏の一大イベント「わいわい祭り」を全面的にバックアップ。ヨーヨー釣りや綿菓子など5種類の模擬店を開いたほか、「ジャンボパチンコ」も出動し、大いにお祭りを盛り上げています。 |
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